So-net無料ブログ作成

Marciana Varnishの実際

マルチアナ・ヴァーニッシュの実際
マルチアナ文書の中の処方のうち、ヴァイオリンニスに有効な処方は下記のもの、或いはマスティックをグリークピッチ全量に置き換えたグリークピッチ/亜麻仁油ということですが、実際にはこの違いはどうなのでしょうか。
処方極めて簡単で
グリークピッチ 1oz、マスティック1oz、亜麻仁油 2oz、焼き明礬少々というものです。
これを作ってみます。結果としては以下になります。
1.紫外線硬化はとても速い。
2.色はマスティックを抜いた処方とそれほど変わらない。
3.二色性と蛍光はコロホニウムオイルニスとあまり変わらない。
グリークピッチは生の状態で採取した松脂を火で焦がして、タール状にしたものを指しますが、これはたいまつ用の基準で、塗料用としてはコロホニウムまたは生松脂をランニングしたものとします。この辺の記述は私個人の見解です。研究者がほとんどいないのでどんな説を唱えても自由なのですが、先人が実際に使用したであろう方法をイメージしています。マスティックの添加は硬化性の促進が主な理由だと思います。
紫外線硬化性の順位はマニラコーパル、マスティック、コンゴコーパル、マダガスカルコーパル、アンバー、サンダラック、ストラスブルグ・テレピン、生松脂、コロホニウム、WW松脂の順で遅くなります。硬化の速いオイルニスは硬化促進剤として使用できます。この場合シッカチフやホウ酸マンガン系、ナフテン酸コバルト、鉛塩の添加よりは効果があります。
マスティックを添加して温度を上げすぎると、すぐにマスティックは蒸発してしまいます。ここは注意です。
marciana-varnish01.jpg


Treatise of Painting C.Cenniniの解説

この前に2文を紹介しましたが、これは「テオフィラスのオイルニス」とCenninoの"vernice da scrivere"はいずれもTreatise of Painting からの抜粋です。これは"On Diver Arts"をタンブローニが訳した文のメリフィールドの翻訳本です。                            
なぜこの文を紹介するかといいますと、以下のような誤った断定が定説になっていると感じるからです。現在では"Fornis=Glassa"を琥珀オイルニスの起源として、またある人ははサンダラックオイルニスとして解釈しています。
具体的に言うならMagisterの故Koen Padding氏は "Vernice Liquida"を"Fornis=Sandarac"サンダラックと解して製品化しました。一方、Alchemist社は"Fornis=Glassa""Glassa=Amber"説を根拠にして琥珀ニスを製品化しています。原点は双方テオフィラスにあります。
Old Wood社は琥珀ニス指示ですが、そうでない可能性も認めているニュアンスがあります。これは私と考えが似ている感じます。どちらかは断定できません。
いずれにしろテオフィラスのこの章の"Fornis"が琥珀との証拠にはありません。
ウイリアム・サルモンWilliam Salmon(1644–1713)"Polygraphice"とAngelo Maria Alberto Guidotti "Nuovo Trattato Di Vernici Della China" 陶器光沢のある塗料の新しい論文1764には"Ambra""karabe""Carabe"という語で琥珀のニスの作り方が載っています。
もう一つは琥珀の熱処理は直火の加熱では焦げて炭化してしまうのですが、この二重ポットのつなぎ目をシールドする意味は、樹脂のランニングの際に熱分解で発生する揮発性有機物が、容器壁面を上昇してすぐに引火するので封止するということです。直火が強すぎて内容物が均一に加熱できない場合の対処方法は二つあります。
1.砂浴で間接的に加熱する。この場合平面的な砂浴ではなく水浴の水を砂に替えたものが良いでしょう。
2.「さや(鞘)」としてマッフルで覆って加熱することです。これは実際にこの時代のだいぶ後19世紀には大規模工程で行われました。
参考文献としては、"Manufacture of Varnishes Oil Crushing Refining and Boiling and Kinderd Industries"Ach Livache 1899

チェンニーニの"vernice da scrivere"

Cenninoの"vernice da scrivere"
Cenninoの第10章で言及されている"vernice da scrivere"は、荒れたサンダラックで構成され、初期のイタリア人とアラビア人によって書かれた前に、bambagina紙を広げるために使われました。それはまだpounceという名で執筆のために使用されています。
このgummi fornisが樹脂であることは、火の上で溶けることによって証明されます。 CicognaraとMerimeeはそれが同一であったと考えます。それがアメリカから来たものなので、テオフィラスはアメリカが発見される3-400年前の人ですので知っているはずはありませんでした。

註)"vernice da scrivere": 執筆用ニス
pounce:  艶消し紙にインクが広がらないようにするため、または筆記用の羊皮紙を準備するために使用されていた、微細な樹脂粉末。
bambagina紙: アマルフィ紙(carta bambagina)Amalfi paper中世の羊皮紙に代わるセルロース紙

樹脂の粘り強い特性はロッドからの糸にぶら下がって、いくつかの人が推測しているように、ホウ砂ではないことを証明します。ホウ砂は熱に曝されて溶けても液体になりますが、グルテンではないのですぐにその状態から抜け出し、急速に溶融して水に溶けますが、油には溶けません。またこの「グルテンバーニション」がサンダラックであると仮定すると、その古いイタリアの作家は、下塗りに液状の状態で使用されたvernice liquidaを絶えず話しているので 、粉末状の乾燥サンダラックであった"vernice da scrivere"とは対照的です。 glassaという言葉はSaxonガラスに由来し、Theophilusによってイタリア語化されています。
読者は、媒染剤のためのボイル油を製造するための91章でCenninoの方法でニスを調製したとき強い類似性に気づくでしょう。Armeniniによって記述されたニスの一つは、ややCenninoが言及したニスに似ているように見えます。
ラファエルとコレッジョによってそれらのニスを温め画像を乾燥させる実験は、ファンエイクのそれが何であっても、本発明を拝借したと云えます。石油での絵画が知られていて、数世紀前に実践されていたことは同様に確かです。Correggioは、樹脂と石油からなるニスを使用したと言われています。 石油で作られたニスは現在イギリス海軍で使用されています。 私はより一般的に使用されていない理由は、石油は目に有害であることが判明しました。(翻訳者:メリフィールド)


テオフィラスのオイルニス

テオフィラスのオイルニス
TREATISE ON PAINTING, WRITTEN BY CENNINO CENNINI IN THE YEAR 1437 ;
italian in 1821 By SIGNOR TAMBRONI
(以下テオフィラスのラテン語をタンプロニがイタリア語に訳し、またメリフィールドが英語に訳しています。)
訳者(メリフィールド)翻訳:
Armeniniには、いくつかのニスが記載されています。
最も古いものは、以前は太陽の下で暖められた絵に広がったオリーオ・デ・アベッツォolio d' abezzo(松の樹脂)とオリリオ・ディ・サッソ(石油)でできていました。
Armeniniによると、この種のニスは華々しく明るいものでした。〔タンブロニ〕
Cenninoが言及したニスは樹脂と石油でできていないことがテキストから明らかになると思います。「ニスを日光ではなく乾燥したい場合は、最初に沸騰させてください」と言います。そこで私はコロホニウムが溶けて黒色の樹脂に変わる以外に、火が樹脂に何らかの作用があるということは分かりません。液体状態と可燃性で揮発性の性質の両方からの石油が沸騰しないことは確かです。 亜麻仁油に溶かした樹脂からなるニスであり、恐らく近代的な調査の研究を今までには見逃していた序文に記載されているTheophilusの"The Treatise on Paintings"に記載されたものかもしれません。 私は彼の2つの処方を紹介します。読者が判断してください。
小さな新しい瓶にいくつかの亜麻仁油を入れて、追加、非常に微粉末、最も透明フランキンセンスの外観を持っていますが、ときに破断面が明るく光るfornisと呼ばれる樹脂は三分の一が蒸発するまで、沸騰しないようにします。
石炭の上に置いて、慎重に加熱し部分蒸発させます。全体像は、このニスで覆われているとき、それは明るく輝いて、そして完全に耐久性のありますし、それが一度引火すると火を消すために非常に危険と困難ですので用心してください。
火の上に突き出すことができるように3本または4本の石を入れ、それらの上に粗い陶器の甕を置き、そこに前述の fornis樹脂を入れます。これはローマでグラッサと呼ばれる樹脂です。 この陶器の甕の上口には、底に穴が開いた小さなポットが置かれています。
そして、連結部分に開口部がないように、それを封止してください。 また、樹脂自体をかき混ぜるためにハンドルのむついた細い鉄棒を持取り付けて、内容物が液体であるかどうかを確かめる必要があります。
あなたは石炭の上に置かれた3番目の瓶を持っていなければなりません。樹脂が完全に液体であるときには、鉄棒から糸を曳きます。それに若干の熱い油を注ぎ、鉄棒でそれをかき回し、同時にそれを加熱しますが沸騰はしません。
時々鉄棒を引き出し木材や石の上に少し広げて、それが滑らかであるかどうか試してみてください。そしてこれを調整しなければなりません、石油2部と樹脂が3分の1であること。 そして、十分に加熱し、それを火から取り出してそれを発見し冷やします。

この主題に関する積極的な情報がない場合、このワニスの性質に関して、言葉自体に由来する推測を危険にさらす可能性があります。
序文で言及されている修道士テオフィラスは、数多くの言葉を使ってイタリア語の語尾をつけています。Storia di Scultura彫刻の歴史、vol 248、2回目の編集でLeopoldo Cicognara 伯爵は指摘しています。:彼は(とりわけ)glutine vernitionとglassaという言葉を例にあげています。 前の{グルテンヴァーニション:渦巻き芽}は、ラテン語のvernix、vernicis(簡単な移行によって、我々はfornisと英語のニスがあります)、ジュニパー - ツリー{juniperus communisセイヨウネズ}から出てくる樹脂 ヨーロッパ各地で この樹脂はサンダラックと呼ばれる。 私たちの最も古いニスのいくつかはそれで作られていることが知られています。もしRaffaello Borghiniが彼の言うとおりならば、あなたはニスを非常に華麗するためたくさんのサンダラックを使ってください。

註)テオフイィラスのFornis樹脂をサンダラックであると結論していますが、Glassaは琥珀を指すこともあります。しかしこの文のできた時代琥珀は"Ambre"か"Karabe"と云ってます。乳香、Juniper,Ginepro,olibanum,Sandarcと混同はとても複雑で混沌としてます。タンブローニの作り方の説明で、引火し易いことは実際に作った人が書いていることを示しています。この樹脂の解明の手がかりはこの作り方の注意にあります。
おそらくサンダラックではないと思います。サンダラックのランニングは危険である加熱限界で爆発します。これは似ていますが、樹脂の発泡がとても大きいことにふれていません。装置の具体図は左がTingryの装置右がBonnaniの装置で、イメージ的にはこの中間と考えます。

tyngry-pot.jpg


マルチアナ文書 メリフィールドの解説

マルチアナ文書 メリフィールドの解説
この文は"Original Treatises,Art of Painting Vol2"1849 Mary P Merrifield からMarciana Manuscriptの章を抜粋したものです。絵画の研究家として
Theophilus(1070-1125)"De diversis artibus"(On Divers Arts )
Cennino Cennini(1360 - 1427)"Trattato Della Pittura"Giuseppe Tambroni著
"A treatise on painting" Mary P Merrifield 著
そしてメリフィールドが現在に伝えています。テオフィラスは修道士、チェニーニは画家でしたので、画材の所見を述べた「絵画論」としての"treatise on painting"でした。メリフィールドはチェニーニを研究しチェニーニはテオフィラスを引用しています。(ジュゼッペ・タンブローニという著者がチェニーニの仕事をまとめています)これが物理的な絵画論の流れです。
従って現実に実際にオイルニスを作ったかは不明です。多くの場合、著者は作っていません。これは文の内容を見ると理解できます。ティングリーのように「ニスは必ず半ポンドのサイズで作る」という記述があれば実際に作ったかは判明します。
「実際に作った人が書いた」ここは大事なことなのです。
コロホニウムのオイルニスは松脂そのものではなく「グリークピッチ」を使用しています。
結局のところグリークピッチと亜麻仁油を加熱するだけです。焼明礬の添加は脱水してエステル化を促進する意味と、酸化促進の意味があり、透明なオイルニスに使用すると僅かに黄色に色が着きます。グリークピッチは元々たいまつを作る方法のように、松脂を火で焦がして得たタール状のことです。現在でもグリークピッチ使用の真っ黒なヴァイオリン弓用の松脂というものがあります。これらの発祥はいずれも楽器塗料としてではありませんでしたが、塗料として楽器に流用されました。音に関しての評価は今日に至るまで皆無ですが、ある意味合成樹脂-高分子(ポリマー)が発明されて、初めて音と塗料の問題が顕著に発生してきたと思います。
Marciana ManuscriptにしてもTheophilusのOn Divers Artsにしても、処方はとてもたくさんありますので、楽器に結びついたと思われる部分を紹介したいと思います。


マルチアナ文書 メリフィールド

MARCIANA MANUSCRIPT.
PRELIMINARY OBSERVATIONS.
マルチアナ文書 前置き  Mary P.Merrifield(1804 -1889)British writer
絵画に関連する以下の抜粋、およびヴァーニッシュの組成は、16世紀の原稿から選択されました。現在はヴェネツィアのマルコ図書館にありますが、以前は貴族のナニが所有していました。 モレッリ修道院が原稿を筆写しました。
「これは、医者、外科医、蹄鉄工、化学、絵画、照明、金めっき、スタッコ(漆喰)、ニス、および類似の作品で使用される古い教授の多くの構成で私たちを彩ることができる処方のコレクションです。 それらはトスカーナ方言で書かれており、時には津ヵった人の名前が前に付いています。その中に"Andrea di Salerno""Frate これらの様々な処方は修道院で使用され、マルチアナ文書が不特定多数の修道士により編集されたこと、または教会信者により修道院の診療所で混合され、中世時代には頻繁に同じ人によりニスと顔料を職業的に製作しました。
蹄鉄工の仕事のための処方は私には、マルチアナ文書が十分な証拠に見えます。
16世紀ではヴェネツィアに馬がなかったので、それらが役に立たなかったヴェネツィアの住民によって書かれたことはありません。
マルチアナ文書に画家の名前が示されています。著者は16世紀の初めと中頃に生きていたことを示しています。おそらく、少なくとも処方のいくつかはローマで収集された可能性があります。著者の発言のために、238章で、「これは私のマスター、アンドレア・ディ・サレルノAndrea di Salernoから持っていたものです。」とありますがアンドレアがフィレンツェに住んでいたとは思われません。 Dominici によると彼は1513年にローマでローマに帰国したラファエロの生徒であり、短期間で自分の国に帰ることができました。
14世紀には、ヴェネツィアはほぼ完全にリアルト島で構成されていましたが、サン・マルコの広場と教会には馬が使われていましたが、上院議員が評議会に乗って馬に乗るのは習慣でした 室内; 他の方法でそれに近づくことは、彼らの尊厳に欠けていると考えられていました。 この事実は、おそらくヴェネツィアの異なる教会の記念建造物の数を占めており、一般にはそのように、高い壁面や高い玄関口に配置されています。
この時間の少し後に、島々を堤防し、運河を深くすることによって、都市の境界が拡大しました。 すぐに運送の好きなモードになったゴンドラが導入されました。 街のさまざまな部分は橋で結ばれていましたが、通りの高さはほとんどありませんでした。
高水準以上では、ゴンドラを下に通すために橋が必然的に高くなっていきました。 乗客にとっては上昇と下降があまりにも急であるため、表面はまだ残っている階段は切断されていました。 もちろん、これらの橋は、短期間にヴェネツィアでは見られなかった馬の廃止につながりました。
Andrea di Salernoは、Sabbatiniとも呼ばれました。 彼は1480年に生まれ、1545年に死亡しました。したがって、このレシピがナポリの王国で書かれたことが示されていない限り、それは以前に1513年に短時間書かれたと思わなければなりません。
このレシピでは、フレスコ画に使用されている青色顔料をミルクと混ぜることを推奨しました。アンドレア・ディ・サレルノがラファエロと一緒に働いたとき、その期間の最高のマスターの教えであったと推測されるかもしれません。
Stucco(漆喰)を作るためにジョバンニ・ダ・ウディネ Giovanni da Udineによって発明された処方が、このマルチアナ文書に与えられています。 ジョヴァンニはラファエロ下でローマで働いていました。ラファエロは、ローマ法王ユリウス2世のためにバチカンのスタンツを飾るために兄弟ブラマンテに招かれました。この招待は、その年にユリウス2世が死去した1513年以前に与えられたにちがいありません。 1527年ローマは劫略され、多くの芸術家はこの憂鬱な事件の後、イタリアの他の地域で芸術に馴染みのある家庭を模索しました。 これらの中にはGiovanni da Udineがいました。
フィレンツェに住んでいた時代、宮殿とS. Lorenzoのチャペルを飾っていました。 ジョバンニは1561年に死亡した、または1564.2このレシピは、このマルチアナ文書の名前で別の画家によって伝えられました。
職人による彫刻家および建築家は、絵画の姉妹芸術への影響を考慮して行使しました。
これは、ヤコポ・タッティ Jacopo Tatti(通常、SansavinoまたはSansovinoと呼ばれ、フィレンツェ出身、アンドレア・デル・サルトAndrea del Sartoのもとで絵を学んだ)です。Sansovinoは、彼の故郷の境界を越えて名声を広げ、ユリウス2世の建築家Giuliano di S. Galloの招待でローマにも行きました。 彼はこの街に住み続け、時折フィレンツェに戻り、ローマの袋まで、彼は、ヴェネツィアで避難所生活を余儀なくされ、彼が91歳で1570年に亡くなりました。
これらの3人の芸術家は、1503年(ユリウス2世が皇位継承された時代)と1527年(ローマ劫略時代)の間にローマにいたと思われます。 この期間中に処方が収集された可能性が高いです。 したがって、色と油の製作とニスのための様々な処方は、多くの関心を持って読まれることになりました。イタリア美術の最高の時代にローマとフィレンツェで雇用されたとかなり考えられるかもしれません。このマルチアナ文書によって確立されたと思われる事実は次のとおりです。
1. 油彩画の色は油だけで溶かれました。使用するには硬すぎると、鉛筆を使ってオイルで希釈されていました。
2.. その亜麻仁油は、3から4時間火の上で沸騰させることにより精製しました。
そして落ち着き浄化するためにその都度皮膜を被りました。
3. そのオレオ樹脂のニスは、オイルの色や絵に適していると考えられていました。
しかしそれらが色と混ぜられると、それにもかかわらず、はっきりと出現しません。
4. 粉末ガラスの添加は、レーキや他の色の乾燥剤として使用され、油中でゆっくりと乾燥しました。
5. すべてのニスは非常に粘性があり、必要に応じて薄めています。
6.このオイルニスはこの時期によく使用されました。
7.この時期に薬剤師や薬草師が販売した " venice comune " (ベルニチェ・コミューネ)は、亜麻仁油、グリークピッチ、焼明礬で構成されていたということです。
マルチアナ文書にはガラス上の絵画に関するいくつかの情報が含まれており、使用中のいくつかの方法があることがわかりました。
1. 特定のメタリック色がガム水でガラスに塗布され、炉内で熱を加えることによってガラスに浸透する。
2. 透明な色にオイルを混ぜたもので、後で塗装する。
3.ドイツから持ち込まれた色付きの眼鏡やエナメル。
4.色のついた卵が糊付けされているか、または白いか1と3の方法がおそらく統一されていて、15世紀にイタリアで検証可能な顔料を含むガラスに絵を描いたことが実証されているという証拠があります。
  この世紀の後半の中以来、契約として窓の塗装を規定することが普通であり、色は火に焼き付けられるべきで、オイルで塗られるべきではないとありました。" cotti al fuoco, e non messi a olio."「火で加熱し、油を入れません」(ラテン語)
ガラスに金めっきする方法は、No.339はヴェネツィアの守護神に由来しており、Muranoムラノグラスで長い間にわたって行われてきたガラス作品で実践されているかもしれません。

2017年新年

正月とはいえ、年末からの仕事で元旦からレーキ顔料とヴァイオリンヴァーニッシュ・コロホニウムの製作でした。「ヴァイオリンニスの作り方 4版」のための図と原稿書きを始めました。3月には印刷できると思います。

1.マダーレーキの製法解説の変更

2.オイルニスの解説の大幅見直し

3.下地塗装とシステムの問題

というところを改定しています。

私は楽器、歴史と中国古典と興味のあるものはいつも手元に置いて、読む本と保存用の本の二冊を用意しています。

仕事にはほとんど関係ないように思えますが、実はとても重要なつながりがあります。ニスの原料の天然樹脂と歴史的な背景と地理的な背景は切り離すことはできません。

私は「話が飛ぶ」とか「関係ない話をする」とよく言われていたのが、会社員時代でしたが、そこが自分の正解なイマジネイションを鍛える要素だと思います。ある方が琥珀ニスの作り方を知りたくて欧州に行き、資料を探してましたが見つからず、日本に帰ってきて私に出会いました。確信もなく外国にそれがあると思うのはどうかと思います。まずは自分がトライしてみるべきでしょう。ストラジバリのニスもマジスターのオイルニスも「永遠に失われてしまった」秘密ではないのです。人がやったことは人が再現可能です。しかし、歴史という大きな壁に邪魔されるわけです。

20170110book.jpg


自社のオイルニス製品について7

自社のオイルニス製品について7(2017.1.2)
「古典的イタリアの塗装の合理的な概観 」での層(レイヤー)の結論はプライマー
シーラー、グランド、カラーペイントの順でということでした。
しかし、Koen Padding氏の云うシーラーというのは結局のところ「着色」であり、プライマーは依然はっきりとしません。現実的な手段としては、ただの膠水処理か燻煙かということぐらいです。グランドはサンダラックとパミスで対処し、カラーはマダーレーキという姿勢は、現実的には有効な手段でした。

弊社はどういったシステムを推奨するのかということはよく聞かれます。          
今年は当分Violin VarnishのColophonium系で進めます。より良いコロホニウム系の使い方について研究して行こうと思います。なるべくシンプルに単純化された方法を追求します。
エレキギターの塗装は最初は硝化綿だけという塗装でした。これは戦後すぐの米国は、まだウレタンやポリエステル系の塗料が確立していませんでした。そのうち光沢と隠蔽性、作業性、耐久性に優れるウレタンを使用したいということで、ウレタン塗装に移行しました。硝化綿は「ドープ塗料」として広く塗装に使われてました。その他アセテートやメラミン/フェノール/アルキッドなどの熱硬化系も使用されるようになりました。硝化綿は次第に減っていきました。
ここで問題が発生しています。木材にウレタンを直接塗装すると不具合が出るということです。現在でも「シーラー」や「サンディングシーラー」として木材のすぐ上は硝化綿の層を必要とします。密着性の問題です。これは合成樹脂の親油性と親水性の尺度の違い、sp値(溶解度パラメーター)についてはいつか説明したいと思います。
このように「シーラー」を必要とする例はありますが、必要だから1工程抜けないわけで理想ではありません。塗料の理想は1度塗りで基本性能の全てを得ることです。
話は戻りますが、オイルニスのシーリングは「音」に対して大きく影響します。
ここは、これから多くの試験が必要になってきます。